tooh’s diary

半角全角、常体敬体が入り乱れるカオス

京都奈良

神社、仏閣

興福寺
ルーツは藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願って創建した、釈迦三尊像を本尊とする山階寺。672年に藤原京に移り、厩坂寺と名前を変える。
710年に、鎌足の子藤原不比等が飛鳥から平安京厩坂寺を移転し、興福寺と名付けた。
平安時代には大和国の荘園のほとんどを領有し、事実上の国主となるほどの勢力の強さだった。
鎌倉、室町時代の武士の時代にな手も、武士や僧兵などを擁し、強大な力を持っていたため、幕府は守護や守護大名を置くことができなかった。そのため、大和国興福寺支配下でありつづけた。
創建以来、たびたび火災に見舞われる。1180年の平家の焼き討ちによる火災は甚大で、東大寺とともに大半の伽藍が焼失した。現存する寺宝類は火災以後の鎌倉復興期に製作されたものが多い。(仏教彫刻類は天平時代や鎌倉時代のものも数多くある。)
神仏習合の影響をうけ、春日社と一体化し、僧兵を従えて超手に直訴することもあった。一方で、1868年に出された神仏分離令神道と仏教を完全に分けようとする)による廃仏毀釈で、廃寺寸前に追い込まれるほどであった。1881年興福寺の再興は許可され、徐々に寺観が整備され現在に至る。1998年に世界遺産に登録された。
神仏分離はもともと仏教排斥を意図したものではなかったが、結果として廃仏毀釈に至った。仏像をご神体として使用することを禁止したり、神社から仏教的な要素を払拭するために、祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の破壊、仏事の禁止などが見られた。)
中金堂は、釈迦三尊像を安置するための寺の中心的な堂として、平城京遷都後に造営がはじめられたと推測される。1717年に焼失してから一世紀以上再建されず、1819年に仮再建されたものの、安価な松材が使われたため、経年による雨漏りがひどかった。2000年に解体され、創建当初の姿を再現した中金堂の整備が2010年(創建1300年)に着工し、2018年10月に落慶した。

 

三十三間堂 

正式名称は蓮華王院本堂。もともと後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂。本尊は千手観音。

創建時は五重塔もある本格的な寺院だったが1249年に焼失。1266年に本堂のみが再建された。

江戸時代には各藩の弓術家により本堂西軒下(長さ約121m)で矢を射る「通し矢」の舞台となった。縁の北端に的を置き、縁の南端から軒天井に当たらぬよう矢を射抜く。「通し矢」の名もこの「軒下を通す」ということからきている。強弓を強く射なければ到底軒下を射通すことができない。それゆえ弓術家の名誉となったのである。

その伝統に因み、現在は「楊枝のお加持」大法要と同日(1月中旬)に、本堂西側の射程60mの特設射場で矢を射る「三十三間堂大的全国大会」が行われる。一般的には「通し矢」と呼ばれているが、60mは弓道競技の「遠的」の射程であり、軒高による制限もないことから、江戸時代の通し矢における風景とはまったく異なっている。 草。

後白河上皇は長年頭痛に悩まされていた。熊野参詣の折にその旨を祈願すると、熊野権現から「洛陽因幡堂の薬師如来に祈れ」とお告げがあった。そこで因幡堂に参詣すると、上皇の夢に僧が現れ「上皇の前世は熊野の蓮華坊という僧侶で、仏道修行の功徳によって天皇に生まれ変わった。しかし、その蓮華坊の髑髏が岩田川の底に沈んでいて、その目穴から柳が生え、風が吹くと髑髏が動くので上皇の頭が痛むのである」と告げた。上皇が岩田川(現在の富田川)を調べさせるとお告げの通りであったので、三十三間堂の千手観音の中に髑髏を納め、柳の木を梁に使ったところ、上皇の頭痛は治ったという。「蓮華王院」という名前は前世の蓮華坊の名から取ったものであるという。この伝承により「頭痛封じの寺」として崇敬を受けるようになり、「頭痛山平癒寺」と俗称された。 (実際は、柳の木は梁には使われてないっぽい。)

なんかこんな感じのエピソード前にも読んだことあるくないか......?と思って、昔の自分のツイートを見返してみたらあった。古文で出会ってたらしい。

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小野小町の髑髏にススキが刺さってて「あなめあなめ」と言ってるって話。小野小町、蓮華坊、後白河上皇同位体説(嘘です)。

本堂には千手観音立像が1000(1001)躯安置されている。そのほかにも、俵屋宗達風神雷神図屛風のモデルになったと言われる風神雷神の木像もある。

 

建仁寺

臨済宗の寺院。栄西鎌倉幕府第二代将軍源頼家の援助をうけ、京都における臨済宗の拠点として建立されたのが建仁寺である。(だから、開基は源頼家、開山は栄西となっている)1397年、1481年、それと応仁の乱の火災により、創建当時の建物は残っていない。京都の古い建物、よく燃えがち。

国宝の風神雷神図屛風がある(複製)。印も落款も無いが、俵屋宗達の代表作として名高い。元々は京都の豪商・打它公軌(うだきんのり/糸屋十右衛門)が建仁寺派である妙光寺再興の記念に俵屋宗達に製作を依頼したもので、その後、妙光寺から建仁寺に寄贈された。

同クラからおすすめされた。

 

 

 

 

和菓子(奈良)

萬勝堂

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イチゴ大福がおいしいらしい。奈良駅から徒歩二分。

 

 

萬々堂通則

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微笑(和三盆のお菓子)がおいしいそうな。奈良駅に近い。

 

 

中谷堂

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萬々堂通則のほぼ隣にある店。お餅がおいしそう。

 

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近鉄奈良駅の中にある店。きなこ団子が5本入り385JPY。

 

春日庵

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近鉄奈良駅から徒歩十分(遠そう)。餅とかき氷がおいしいらしい。季節感がない。

 

 

ごはん(京都)

ことこと

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京都駅11F にある和食のお店。年中無休。

 

松葉 京都駅店

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上に同じく京都駅内にあるお店。にしんそばが食べられる。年中無休。

 

ごはん(奈良)

 麺人 ばろむ庵

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サムネがおいしそう