tooh’s diary

半角全角、常体敬体が入り乱れるカオス

時ノ雨、最終戦争

 

 

 

結構前からだけど、自分なりに歌に対して解釈をつけることは烏滸がましいと思っていた。

 

だって曲の真意なんて作者にしかわからないんだし、でたらめにでたらめを重ねた解釈なんて時間の無駄だし無意味だからだもん。これも正解を求める国語教育が中高生に植え付けた宿痾なのかなんなのかは不明だけど。

 

まあでもそんなこと思っていたけど、久しぶりにこの曲を聴いてちょっとその考えが変わった。

 

 

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高2か高3くらいの時だろうか、この曲に出会ってそこそこ聴いていた覚えがある。その時からこの曲に関して感じていたことは、

「メロディは好きだけど、歌詞が意味不明」

これだけである。ぶっちゃけた話、ストーリーがありそうなのにここまで意図がよくわからない曲もボカロの曲の中では珍しいと思う。ボカロの曲というのは大体対象とする年齢層が10~20歳くらいだし、クリエイターもせいぜい30手前の人が多いだろう。つまり、若い人が若い人に向けて曲を作っているわけで、感覚としては似たものを共有できるはずだ。それゆえに歌詞に意味があったり、ストーリーを想像できるようになっている。MVの視覚的な訴求力もそれなりに大事で、MVがちゃんとしていることも、このジャンルの音楽においては重要なファクターとなっていると感じる。

この曲の作曲者はOrangestar氏で、年齢は(忘れたが)おそらく20歳かそこらだろう。僕が16歳の時にイヤホンと蝉時雨を発表し、その時に17歳の若さに注目がいったような気がする。その時僕もかなり驚いた覚えがある。高々1歳しか違わないのに、世界観の構成力は半端ないな、と。

さて長々口上を垂れてきたわけだが、そろそろ本題の方に入ろうと思う。この曲がどんな意味を持っているのか。注意として、この文章を読んでも何の得にもならないことだけは言っておきたい。これは純粋なオナニー文章である。

 

 

Orangestar氏の曲には「僕」「僕ら」といった一人称が頻繁に登場する(はず)。「アスノヨゾラ哨戒班」では「気分次第です僕は」という歌いだしで始まり、「牆壁」では「あのさぁ 僕はもっとこう楽に生きていく方法は(略)」「目の前の僕は単純に」といったようにである。こういった曲を聴いている限りでは、その曲に出てくる主人公的な存在にアイデンティティを持たせるために「僕」という一人称を用いているような気がする。いずれにせよ、曲の中で一つのストーリーがあり、「僕」とその周りの世界を描き出している。

また、「僕」同様「君」という他者も頻繁に登場する。「Alice in 冷蔵庫」や「濫觴生命」などでその存在を確認することができる。基本的に「僕」と「君」という限られた人間関係の下で話が展開していくとみてよい。

さて、意味不明なのは曲全体を通じてそうなのだが、とりあえずまずはわかりそうなところに焦点を当てて考える。この曲のメロディで最も特徴的なのはやはりラスサビの二回連続で転調するところであろう。僕も何度聞いてもここだけは目の覚めるような気持ちになる。そこに注目してみる。

 

泣き止んだ今日にさらば
変わらない想いを
振り翳すように生きてく
泣きながらでいいさ
それを繰り返して笑える生涯

また明日の雨に打たれたっていつか
この世に生まれてきてよかったって
言えるようになるかな
その日まで

負けないよ

 

「泣き止んだ今日にさらば」と「泣きながらでいいさ」は対をなしている。泣き止むという行為自体を放棄していいという意味にとれる。つまり、僕(もしくは君)がこれまで泣きながらケリをつけてきた(妥協してきた)負の感情に対してそれを受け入れた過程があるのだろう。「変わらない想いを 振り翳すように生きてく」からも分かるように、何か不変の信念が心の中に芽生え、それを叶えるためならばどんな障害(負の感情)だって乗り越えていくという気持ちがあり、「泣きながらでもいいからその想いを持ち続け、障害に負けず想いを正の感情に変換していけばいい」という意思が一段落目から見て取れる。

「明日の雨」というのは以上から考えてみれば負の感情(それかその負の感情を芽生えさせる外的要因)の比喩であろう。そういった状況であっても、「変わらない想い」を抱えて、それを貫き通すことができて、「生まれてきてよかった」と言えるようになれればいいな、その日まで負けずに日々を生きていくんだ、と決心を固くしているのだろう。そう考えれば、少なくともこの部分の脈絡は特別変なものではなさそうである。

さて、そこまで考えればどうしてこんな風に心変わりが起こったのだろうか。そもそもこの心変わりは「僕」と「君」のどちらのモノなのだろうか。今考察したひとつ前の部分の歌詞を追ってみる。

 

止まない憂いの最中
二つ感情は対を成して願いを放つ
君は覚えてるかな
あの日涙の意味を

この世はまだ終わらない
明けぬ夜が今日を塞いでたって
僕は歌う「嫌いじゃないな」って
さぁクラい空が ハれる

 

前のメロディーから一旦音が止まり、転調する部分である。「憂いの最中」はこれまで君か僕かのいずれかが憂いを抱いてきたことを指している。先ほど考えたところで言う「泣く」行為は結局のところ、この憂いの所為なのだろう。何を憂いているのかはわからないが、これはおいおい考えていくことにする。その次の二つの感情という部分も謎であるが、「対」という言葉がキーになる。

3、4行目「君は覚えてるかな あの日涙の意味を」は文章的には「あの日『の』」となるべきであろう。泣く描写が頻繁に入る文章で、これまで泣いてきたことを考えれば、ある日に重点が置かれるのではなく、涙の方に重点が置かれてしかるべきである。ただ、この段落では、これまで山積した憂いから脱する兆しが見え始め、ある願いが芽生えたという転換点になっている。この願いは先ほど考察した「変わらない想い」と結びつきうる。

「この世はまだ終わらない 明けぬ夜が今日を塞いでたって 僕は歌う『嫌いじゃないな』って さぁクラい空が ハれる」と続くが、まず、「この世はまだ終わらない」でこれから先の未来を見据える心づもりをし、未だ開けぬ夜=憂いを帯びた気持ちを「嫌いじゃない」と挑戦的な発言をし、その憂いを吹っ飛ばしていこうという気概を感じる。なぜか「クラい」「ハれる」とカタカナ表記になっているが、やっぱりそこを漢字にしなかったのには何らかの意図があるだろう。完全に推測でしかないが、空と心に対しては「暗い」「晴れる」の両方の言葉が結びつく。だからあえて、いずれの意味にもとることができるという意味で漢字の一意性を排して、曖昧さを含んだカタカナを使ったと個人的にはみている。(蒙いや昏いの線も考えたがこちらは微妙)

 

「僕のことなどきっと僕はまだ」
悲しさのみ木霊する
孤独の中遠く浮かぶ昨日は

今日で世界は終わります
君が拒めど此の暮れに
咲カセ死ニ花
成るは厭なり思うは成らず
君の全てはね

 

さて、二番の最初まで来た。最初の「僕のことなどきっと僕はまだ」の後に省略されていることはわからないが、「まだ」に接続する言葉は「理解していない」とかそんな感じの言葉しか思いつかなかった。ただ、この発言の後に「悲しさのみ木霊する」と続くのでマイナスの感情であることは間違いなさそうである。僕がしゃべっているフレーズなので、次の歌詞の「孤独」は僕のことを指している。

次の段落、三行にまたがっている部分だが「今日で世界は終わります 君が拒めど」「この暮れに咲カセ死ニ花」に分かれていると取った方が自然そうである。「君」は世界に対して終わってほしくないという気持ちを抱いていて、「暮れ」は「世界の終わり」に対応している。(ボカロの曲、世界が終わりがちである)死に花は本来死に際もしくは死後の名誉を指す言葉だ。その後ろ、「成るは厭なり思うは成らず 君の全てはね」は倒置になっている。縁談がうまくいかないことのたとえで使われる言葉だが、ここでは「好ましいと思うことはうまくいかず、嫌な事ばかりが積み重なる」という苦しみを味わい続ける「君」を「僕」が客観的に描写した様子を表している。この段落から推察するに、「君」はこの世界でまだ成し遂げたいこと(それも「死に花」っていうくらいなのだから割と大きいこと)が残っており、だけどうまくいかず、この世界に時間の猶予を求めている状態である。なぜ世界が終わるのか(この「終わる」が人類滅亡レベルなのか個人レベルなのかどうかも分からないのだが)はこれ以降からは読み取れないので、前半から探っていくしかない。ただ、世界が終わって人類が残っていなかったら死んだ後その名誉を記憶しておく人間がいないから歌詞的につながらなくなるので、人類滅亡という線は薄そう。

 

 

コタエハ?
無いよ...

<incorrect>

 

1番と2番をつなげる象徴的な歌詞。答えは?という問いかけに対して「無い」と'incorrect'は意味自体がそもそも違う(incorrectは「間違い」なので)。「無いよ」は明確な発声があるものの、incorrectの方は発声されていないため、「無い」と答えたのは建前で実際は「間違っている」というのが本音なのかもしれない。この発言が「僕」、「君」のどちらによるものかは不明。

 

泣きだした想の彼方
終わらない善と悪の祭典
「なんてざま期待も無いな」
って君は君を掻き消した

時の流れに希望さえもう
描けない世界で
正しさなんて誰にもわかんないから
君は何を願ってもいいの

いいの...

 

問題はここ。これまでまだ何かストーリーを構成するそれっぽい歌詞が並んでいたが、ここは一行目から本当にわからない。「泣きだした想の彼方」てマジで何なんだ。「想」ってなんだ。「彼方」ってことは「想」に空間的な奥行きがあるのか。それなら「泣きだした」はどういうことなのか。擬人法なのか?それとも「想」はある個人の心の事を指しているのか?もう何一つつながらない。その後の「善と悪の祭典」ってなんだ。「善と悪」ならまだしも「祭典」ってマジで何?もう日本語として割と意味不明である。これ含めて神曲とか礼賛している人は想像力が本当に本当に豊かなのだろう。

この二行だけで相当頭がおかしくなりそうなのだが、その後「なんてざま期待もないな 君は君を掻き消した」はさっき見た発言と「君」の人格が変わりすぎてて正直怖い。こちらの方が時間軸的には前になるだろうけど、こっちの「君」はこの世に一片の期待も持っていなさそうである。その後の部分は明らかに「僕」から「君」へのメッセージとしての役割を果たしているけど、「僕」の方は「君」の病みっぷりにドン引きしてる感じが否めない。こう、情緒不安定な人をなだめる感じの歌詞になってる。

 

答えて ねぇ

にわか雨が寄せる街の夜へ
沈む世界 感覚遡行
「きっと僕ら生まれながら
何処にもないコタエを探してる」

応えて ねぇ

叶えて
何を?

今日の世界はいかがです?
きっと言われずとも君は
君を知っているだろうともさ
けどまだ信じられぬだろう

終わる日々の果て

 

頭のおかしい歌詞を見たのでもう正直考察とかはどうでもよくなってきたのだけれど、とりあえず最後まで見とかないと締まりがないので見てみる。「にわか雨」は最初の方でも見た通り実際に降っている雨というよりかは憂鬱な感情の比喩表現と見た方がよさそう。「感覚遡行」という単語自体は存在しないが、夜になって憂鬱な気持ち(雨に沈む世界)になっているという状態を表しているのだろう。「何処にもないコタエ」はまあ割とストレートに「生きる意味」に置き換えれば通用しそうである。

「応えて ねぇ」の「応えて」は、ド頭の「答えて」や1,2番の連結点で登場した「答える」とは別の漢字である。明確な解答を必要としていない、まさに「回答」を求めているのだろう(誰が誰にというのは不明。次の「叶えて 何を」もそうだが。こっちは自問自答している感が強い)。

「今日の世界はいかがです?」は動画の紹介文にも用いられている文言だが、「僕」から「君」への問いかけだろう。「君は君を知っている」は2番の「僕のことなどきっと僕はまだ」と対を成していると思われるので、やはり「君は君を知っている、僕は僕を知らない」という解釈がうまくつながると思う。ただ、その後「けどまだ信じられぬだろう 終わる日々の果て」は、ここまで見てきた限り、普通に「この世の終わり」というか純粋に「死」を指しているものだと考えるのが妥当そうだ。

 

 

逆から追っていって最初までたどり着いたが、とりあえず想像で補完できたところを挙げる。今度は最初から歌詞を追っていく。

 

答えて ねぇ

にわか雨が寄せる街の夜へ
沈む世界 感覚遡行
「きっと僕ら生まれながら
何処にもないコタエを探してる」

応えて ねぇ

叶えて
何を?

 

部屋にギターがあることから「僕」か「君」は音楽に関係することをしているのだろう。動画の中では部屋の中に横たわる「君」である少女の姿があるため、このギターは彼女のモノである可能性が高い。「僕」は憂鬱な気持ちになりながらも、「君」の希望を持つ姿を眺められる距離にいると思われる。「僕」は生きる意味を「答えて」欲しいとは思いながらも、同時にその問いかけに解答はないものだと気づいており、彼女に対して「応えて」欲しいと思っている。また、人生の中で叶えたい夢も分からず、空虚な願いに「叶えて 何を」と自問自答している。

 

今日の世界はいかがです?
きっと言われずとも君は
君を知っているだろうともさ
けどまだ信じられぬだろう

終わる日々の果て

 

「僕」は「君」が自分自身の生きる意味や叶えたい夢を分かっていることに対して羨望を抱いている。それと同時に人間が避けることのできない「死」に向かっているを分かったうえで、「君」もそれは不可避であることを嗤い、同時に自嘲する気持ちも見えている。

 

泣きだした想の彼方
終わらない善と悪の祭典
「なんてざま期待も無いな」
って君は君を掻き消した

時の流れに希望さえもう
描けない世界で
正しさなんて誰にもわかんないから
君は何を願ってもいいの

いいの...

 

何らかの自身の創作物に対して、自分とは遠いどこかでその作品の是非について様々な人が良し悪しを評価していることに対し、自分の主張が全くその人たちに伝わっていない、もしくはその人たちの議論について失望し、「君」は「君」を、つまり生きる意味や夢を失ってしまう。そんな「君」に対し、「僕」は、そういった問題が時間の流れで解決できるような世界では、結局正しいことなど誰にもわからないのだから、自分自身のやりたいようにやればよいと励ます。ただ、「僕」自身も生きる意味に対する自分なりの回答は出せておらず、その励ましもどことなく空虚である。

 

コタエハ?
無いよ...

<incorrect>

 

「君」は「君」自身の答えが無くなったと言いつつも、その答えが間違っていたという念にうちひしがれて、それを表には出さないでいる。

 

「僕のことなどきっと僕はまだ」
悲しさのみ木霊する
孤独の中遠く浮かぶ昨日は

今日で世界は終わります
君が拒めど此の暮れに
咲カセ死ニ花
成るは厭なり思うは成らず
君の全てはね

 

「僕」は「僕」自信を理解していないと分かっているため、現状を確認し自嘲する言葉はもちろん、「君」に向けた自分の励ましすら空虚だと感じている。自分自身が理解できないまま一日、また一日と日々は流れていき、一日という世界が終わるたび、「僕」を知らない「僕」は死んでいく。「君」はそれでもまだ希望を捨てきれていないのか、終わる今日に未練を残し、自分の証を残そうとするが、うまくいかないことばかりで、そんな「君」を「僕」は諦めの境地に立つ者の視線から見つめる。

 

止まない憂いの最中
二つ感情は対を成して願いを放つ
君は覚えてるかな
あの日涙の意味を

この世はまだ終わらない
明けぬ夜が今日を塞いでたって
僕は歌う「嫌いじゃないな」って
さぁクラい空が ハれる

 

「僕」自身も陰鬱とした日々を送る中で、自分と同じ状況に置かれた彼女を憐れむ気持ちと、彼女を救いたいと願う気持ちとが交錯し、最終的に彼女の背中を後押ししようという願いが生まれる。長い間生きる意味を見出せなかった「僕」はこれまでの「僕」を笑い飛ばし、明るい未来に向かって目を向ける心づもりができる。

 

泣き止んだ今日にさらば
変わらない想いを
振り翳すように生きてく
泣きながらでいいさ
それを繰り返して笑える生涯

また明日の雨に打たれたっていつか
この世に生まれてきてよかったって
言えるようになるかな
その日まで

負けないよ

 

諦めの境地から見つけた答えは、ずっと順風満帆なんてありえないんだから、たとえ苦しいことがあったとしても、自分の意志を貫き通せればいいじゃないかというものだった。明日という新しい世界で雨に打たれたとしても、自分がこの世に生まれ落ちたことがプラスに捉えられるようになる日まで、自分の意志は貫くという固い信念を持つことができた。

(ちなみにアウトロではバックのハイハットに合わせて雨が降ったり止んだりしている。)

 

 

最後まで見てみると話として絶望的に矛盾しているところはなさそう。

 

 

まあ作者も適当な言葉を連結させて歌詞を作るってことはないので、曲に意味があるのは当然ですね。その意味の伝わりやすさや受け手の一意性に差はあるにせよ。僕は純粋に曲が好きです。

 

 

最後にタイトルなんですけど、最終戦争の要素がどの辺にあるのか分からず.....................................................................。一番難しいのはタイトルかもしれんね。

 

 

<追記>この曲、ニコ動で(2/1時点で)約80万回も再生されているのに解釈の記事がほとんどありません。それだけ難しいってことですね。